就寝時には、枕を投げ合ったり布団の上で相撲を取ったりしていると先生が怖い顔をして入ってきた。
翌朝は、朝早く起こされ、朝食後、弁当のおにぎりを貰って、旅館を出発する。
この日もただ歩くばかりで、伊勢神宮を参拝することになっていた。
五十鈴川の手の切れそうな冷たい水で手を清め、白い玉砂利が敷かれた参道を歩いて、内宮・外宮へ参拝した、丁度その時は、式年遷宮のすぐ後で、白木の輝く様なお社とともに、二〇年間立っていた古いお社もあり、案内人はこうして新旧のお社を見ることが出来るのは非常に幸運なことであると説明していた。
帰路は、津から汽車に乗って、京都・大阪・神戸を過ぎ疲れ果てて須磨の駅まで帰ってきたのは、もう真っ暗になったころだった。私の母を含め、多くの父兄が駅に迎えに来ていた。それぞれ親に手を引かれ、楽しそうに旅の話をしながら帰っていた。
たった2日の旅だったが、非常に、長い時間遠くへ行っていたような気がしてならなかった。と同時に、みんなそれぞれ成長したようにも見えた。
旅行中、一人だけ寝小便をした者がいた、彼は、クラスの中で傲慢に振る舞いクラスの連中は彼に、一目も、二目もおいていた。しかし、修学旅行の寝小便以来、誰かに、「琵琶湖黙れ」言われると、彼は、肩を落とし自分の無理押しを引っ込めたことが何度かあった。
子供達の、感性には、憐憫や同情より闘争・掣肘・撲滅・勝利と行ったきわめて残酷な価値判断の基準が働いているのではないだろうか。
このような、幼児的感情を成長の課程で、相互依存、相互尊重、の関係に育て上げて行くためにいろいろな環境を体験することがこが大事なのではないだろうか。
そのためにとても助けになることは、旅に出ることである。
|