それから、40年後、友人達数名で富士山へ再度登った。その時は大変な人出で、大渋滞の高速道路のようたった。九合目の山小屋で少し仮眠して、深夜に出発したので、日の出前に頂上までたどり着いた。そして、浅間神社で、ご来光を待つほどに、日の出とともに、スピーカーから大音響で「君が代」が流れました。何人かの人は立ち上がって太陽に向かって、万歳を唱えていました。
日がすっかり昇ったとき、指呼の間に見える剣が峰へみんなに行きましょうよと言うと、一番疲れて小さな荷物を私たちに預けてかろうじて登ってきた友人が、とてもこれ以上は無理だ。と言い出しました。彼は、上り道で度々酸素のボンベのお世話になりながら登ってきたので、これ以上無理をさせることは出来ないと、来た道をそのまま下りた。登ってくる人は絶えず、時々、道を譲り合いながら、下山したもが第二回目の富士登山の顛末だ。