やっとの思いでたどり着いて何処に幕営しようかとウロウロしていると、懐中電灯を持った檜枝岐小屋の人がやってきて、ここにテントを張りなさいと教えてくれた。大至急、テントを張ったが食事の準備が出来ない。仕方がないので急いで、非常食を使うために湯を沸かそうと言うことで、水場から飯盒一杯の水をくんで来て、非常時のために用意していた、固形燃料に火を付け、湯を沸かした。 湯が沸くとこれも非常用にと持ってきたアルファー米(乾燥ご飯)の袋に熱湯を注いだ。暫くすると乾燥したアルファー米は水を吸って柔らかくなり普通のご飯のようになる。味等考える暇がない。缶詰とアルファー米で遅い夕食を済ませ寝につくことにした。
この日は前日の寒かった経験を生かして、リュックサックを空にして中にある衣類はみんな着込んで、新聞紙の上にリュックサックを敷いて休んだ。これはなかなか良かったようで夜中に寒さで目を覚ますこともなく、ゆっくりと休むことが出来た。
翌日は、湿原、尾瀬ヶ原を横断する日である。当時の尾瀬ヶ原には、現在のような木道はほとんどなく湿原の各所に安全な箇所を示す旗が立てられており旗に従って歩けば安全だと言うことになっていた。
湿原を歩くと足首が埋まるのは当たり前で、時として膝まで埋まる。聞いた話では首まで埋まった人がいたと言うので慎重におっかなびっくり尾瀬ヶ原を歩いて行った。
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